赤瀬川原平の芸術原論」をみて、大好きな赤瀬川原平さんが自分を構成した大半だったので少し長い話を思い出しました。

ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズや、ハイレッドセンターフルクサス。どれもグループ、赤瀬川原平さんが所属する団体の名前です。
同じ志を持つ同世代の仲間。「集団」にロマンチズムと憧れを感じていた。自分にもこんな仲間がいればきっと、なにか変わるんだろうと赤瀬川原平に憧れ夢を見ていた。

いまなら、どれも偶然に人と人が繋がった単純な結果だ(実際それがロマンチックだけど)ってあっさり言えるんだど、学生だった当時、この人たちの周りに啓示のような奇跡が起こったから。という非現実的な想像にひとりシビレていた。

多摩美の山奥で仙人のように作品制作していた頃の自分には、
人が交わった時のスピード感もわかっていなかったし、どこに行けばいいのかもわからなかったし、そもそもコミュニケーションなんかいい作品があれば必要ない。と思っていた。同世代の仲間なんて到底かなわない世界だと思っていたが、6年通った美術しかない学校でも友達もいなければ仲間もいない自分にはそうとしか思えなかった。

仲間がいない自分が生きていくには、誰かにはやく見つけてもらうしかない。と思って、大学院に入り友達と会う回数が減り、日増しにストイックになっていったが、脳内で起こっている状況とと現実のスピード感のギャップに卒業後半年で頭がひらいてしまった。

赤瀬川原平の一生を作品単位なぞる展示を見て、敬愛する作家の人生に自分を重ねて、前半はこんな気持ちを思い出していた。

目標がわからなくなって、どうして生きているのかわからなくなって、Twitterをただ眺めてると、タイムラインに自分の10代の頃の追いかけた、イベント、マンガ、ローファイ、モンド、など90年代のワードが目に焼き付いて脳を刺激した。
それらは全て「吉田アミ」さんによるものだった。
イベントに行き、帰るタイミングもわからず最後までいると、打ち上げのような懇親会。そこで、趣味を友達と共有するということを知った。
それから何度か、アミさんのイベントを手伝うようになって、外に出るようになった。そこで出会うのが、ASOKOのコアメンバー「ダブ丸」だった。