今年作った、最新のPVです。
去年観た「Magic Mike XXL」という男性ストリッパーの映画が、すごくよくって、マッチョで粗野な男たちがブスにモテまくる映画だと思っていたんですが、男性社会の中で生きる女性の性を丁寧に描くために過度な演出をしない誠実な映画でした。
きっとエンタメ的には面白くないんですが、
すごく感銘をうけました。

「女は性欲を表に出してはいけない」という下地があっての欲求開放演出。

演出と偏見は同じようなものなのかな。
と。最近思っています。


よかったらご覧下さい!

赤瀬川原平の芸術原論」をみて、大好きな赤瀬川原平さんが自分を構成した大半だったので少し長い話を思い出しました。

ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズや、ハイレッドセンターフルクサス。どれもグループ、赤瀬川原平さんが所属する団体の名前です。
同じ志を持つ同世代の仲間。「集団」にロマンチズムと憧れを感じていた。自分にもこんな仲間がいればきっと、なにか変わるんだろうと赤瀬川原平に憧れ夢を見ていた。

いまなら、どれも偶然に人と人が繋がった単純な結果だ(実際それがロマンチックだけど)ってあっさり言えるんだど、学生だった当時、この人たちの周りに啓示のような奇跡が起こったから。という非現実的な想像にひとりシビレていた。

多摩美の山奥で仙人のように作品制作していた頃の自分には、
人が交わった時のスピード感もわかっていなかったし、どこに行けばいいのかもわからなかったし、そもそもコミュニケーションなんかいい作品があれば必要ない。と思っていた。同世代の仲間なんて到底かなわない世界だと思っていたが、6年通った美術しかない学校でも友達もいなければ仲間もいない自分にはそうとしか思えなかった。

仲間がいない自分が生きていくには、誰かにはやく見つけてもらうしかない。と思って、大学院に入り友達と会う回数が減り、日増しにストイックになっていったが、脳内で起こっている状況とと現実のスピード感のギャップに卒業後半年で頭がひらいてしまった。

赤瀬川原平の一生を作品単位なぞる展示を見て、敬愛する作家の人生に自分を重ねて、前半はこんな気持ちを思い出していた。

目標がわからなくなって、どうして生きているのかわからなくなって、Twitterをただ眺めてると、タイムラインに自分の10代の頃の追いかけた、イベント、マンガ、ローファイ、モンド、など90年代のワードが目に焼き付いて脳を刺激した。
それらは全て「吉田アミ」さんによるものだった。
イベントに行き、帰るタイミングもわからず最後までいると、打ち上げのような懇親会。そこで、趣味を友達と共有するということを知った。
それから何度か、アミさんのイベントを手伝うようになって、外に出るようになった。そこで出会うのが、ASOKOのコアメンバー「ダブ丸」だった。

中一

中一の頃、

本もCDも売ってる電気屋で、ラノベドカベン盗んで捕まったことがある。

以来、ラノベもとい、ライトノベル文化が悪の象徴のように大嫌いになったが、水島新司には執着するようになった。

親に買い取ってもらった後、ものすごい罪悪感と後ろめたさで憎たらしくて、1日に何度も睨んでは、ドカベンを読んでの繰り返し。

ふと手に取った瞬間、抜群の読みやすさでどんどん夢中になって読んだラノベ
義理の姉にと恋愛する話。そのあとも何冊か出たので結局最後まで、追いかけてしまった。

最後まで現状維持で終わった結末とか買い続けた自分が悔しくって恨みは募るばかり。。。

あの時捕まえたおじさんがラノベを見て「こんな活字の本を読むなんて、君は立派だね。」と言われた時、モジモジした女子高生がこっちを見ている表紙がどんどん後ろめたくなってきて、なんでこんな恥ずかしい表紙つけたんだよ!ってバックヤードで真っ赤になっていた事が焼きついて離れない。

「エロ本みたいなみんすよ〜。」

いまならこの位タフに。。。

父を山形の施設に移し、近所に住む親戚。(父の兄家族)が面倒たまに顔を出すという生活。になって半年。
不自由なくやっているという連絡を聞き安心していた。

しかし関わる人が増えると、トラブルも増える。
「すべてにおいて、何事も思い通りにはならない。」という最近スピったことを、頭に入れておかないと本当にストレスがたまる。
(蛇足の補足は、子育てだったり、田舎暮らし、とか。)


父は、脳に残る障害と以前からの経済感覚のなさで、所持しているお金は全て使うので、財務は僕が管理していた。
これは以前から言っているが、あれば全て使う。
お金を持たせられないので買い物も全て代行した。

しかし、いくらか持っていないと不安という。

確かに全く持たせないのもなぁ、とは思いつつ、ほとんどが酒に消えていくお金を涼しい顔で渡せるかというと悩ましいところ。
しかし、医者が禁止している酒を差し入れるまで割り切れていなかったので、本人が買うなら自己責任だ。と自分を納得させ、
なにかあった時、恥をかくといけないから、と毎月現金を渡していた。

この小遣い制を一生続ければ、問題ないと思っているのだが生活環境が変わると難しい。

親戚は近所だから差し入れをするという。

ありがたいことなのでよろしくお願いします。と言って了承していた。
暫くすると、差し入れをして両者が楽しそうにしてる写真が届くので安心していたが、僕にはそれが余計に面倒だった。

返信を怠ると、翌日に同じ内容のメールが届く。僕にはそれが脅迫の様に感じていたので、その都度、感謝を丁寧に返信していた。

しばらく経つと、親戚から予算がないという連絡がくる。
新生活開始時に、まとまった金額を預けた。
「これだけあれば一年は持つよ!」と聞いた時は金銭含め、とにかくトラブルを回避できたと、心底安堵したのでこの時の会話は今もはっきり覚えていた。

しかし半年しか経ってない!
内訳を聞くと、差し入れも予算からだった。

重複すれば半分でなくなるのは、当然。
それさえも予算からだったなんて、気持ちはわかるが、野暮な話だと思った。


「ということなので明日までに10万振り込んでください」

大事に使うんだよって渡されたお金は、どれだけ苦労して工面したかな。など考えると、とても使えない。
そういう感覚が、血縁には当たり前に備わっているんだと思い込んでいたから、ショックだった。

「10万を明日まで」

不躾というか闇金のような請求に頭が痛くなった。
足元見られてるんだか、なめられてるんだかはわからないがきっと、悪気ないんだろうって思いたい。
けど、それも嫌だ。

どうしたらこんな事言えるんだろうと、悲しい気持ちと呆れた気持ちでどうしようか考えても仕方ないので
仕事に使うような内訳が明快な見積もりを出し、直接お金の使い方を提案し、実際翌日払えた10万は、2週間後に5支払い。
きちんと感謝していることを伝えた。


今回のことで更に、物事って本当に思い通りはに行かないんだなと痛感した。
デリカシーがなければこんなにうろたえないと、またスピリに感謝しつつ、また一つ現実のフォーカスがはっきりしたことで、もうスピるわけにもいかないんじゃないかと思いました。

そうだ。パンツ買いたいんだけどいいとこ知ってる?

って、いうと嫁が、


ここなんかあるんじゃない?


って何件か入った店には、まったくパンツがなくて、

その割に、

このコーナーのじゃない?


なんてアテンドしてくれるんだけど、内心どんな気持ちで案内してるのかさえ不安になるくらいなにもなくって。

もうブリーフでいいか!逆に白いブリーフのほうおしゃれかも。って言ったら。

そっちか!ってなった。

おれのパンツは下着、パンツはズボン。

そんな一日。


そして、

一発OKだろってくらい自信あった仕事の修正メールを確認して、

一息。

ただ一点を見つめたり、ヤフオクの検索に「古民家」と入れてみたり、しつつ、日記を書いている。


毎日スピル暇もない。