父と自分のこと。

訳あって、父と同居している。

体と脳に不備が発生したためだ。

脳のというのはつかみどころがなく、幼い人と父が交互に主張する、という感じ。

昔から、父とは疎遠な関係だったので、益々どう関わっていいかわからなくなってしまった反面、脳が曖昧なおかげで片意地張らずに話せるようにもなっているが、会話は大体、体調や天気の話が中心。

そんなぎこちなさしかない親子関係と共同生活が2年とちょっと、続いている。


生活は、一緒にいればいいでしょ?くらいの気持ちで、素っ気なくしていた。
微々たるものだが、日を増すごとに着々と回復していく父に、この生活が永久が続くとしたら、と考えると、とても親切にはできなかった。

それが原因かはわからないが、近しい人にストレスをぶつけたり、夜な夜な、遊びに行って酒を飲んで人と会ったり刹那な生活をしてバランスをとっていた。

悪循環なのはわかっていたが、状況を変えるところまでは考えられなかった。


ある時、一番協力してくれた父の兄から実家に顔見せにいかないか?という提案を受けた。実家は青森。無理に決まってるうえに、介護の付き添いで連れて行かれるのはまっぴらだ。と断っていたが、状況的に、スピリを大分あてにしてた時期で、そんな助言の内容も、「父方の墓参りをしない限り、お前は成功しないぞ。」だったりで、色々と重なり、これは渡りに船と、帰郷を決意した。それが2013年5月のGW

およそ20年ぶりの親戚との再会にかなり戸惑った。おばあちゃんはボケて、父と意気投合するし、よく付き添ってくれた。ありあがとう!と感謝はされるし、よくできた息子だな。と褒められるし、移動中何度も繰り返し研いだ鋭い皮肉も結局言えなかった。ただ、おやすみのタイミングで、長男に、この生活は数年で終わらせるつもりでいます。と父を手放す選択を視野に入れていることを伝えた。これで後ろ指さされることはないな。とひとまず安心していた。

しばらくすると、その長男に呼び出され、離れの居間に案内された。そこには、父の兄弟夫婦が集まって卓を囲んでいた。
ここに僕がいることは、概ね父の話かと察し、徐ろに話を聞くと、やはり父のことで、これからどうするのがベストか相談していたようだった。
てっきり哀れだ。とか、かわいそうだ。と、対岸の火事を見るような心境だと思っていたので、皆が親身になって議論する姿に肩をすかされた僕は、ただただ話を聞きつづけるという状況だった。ただこの先手放すということを先に伝えたこともあって、その方向で話が片付いた。
想像以上に父、それ以上自分のこと(この先の人生)について真剣に考えていてくれたので、感謝と情けなさで、みんなの顔を見られなくなってしまった。

僕にはもう限界かもなと察したのか、一番協力してくれた父の兄がここまで引っ張り出して、察緊急会議を開いてくれたのかなと今は思う。つくずく自分は浅はかだな。

とにかく、血でつながった絆の強さを感じた夜だった。

ただ、そのときはそんなこと露知らず、墓にはいくのか?いつだ?それは先祖か?先祖が重要なんだどスピりまくって迷惑をかけていた。本当に愚かだった。


ここから猛スピードで事態は展開していく。

それから6.7月で住むところが見つかった報告を受ける。場所は山形、一番協力してくれた父の兄の義母が利用した施設だ。
内見を8月に済ませるべく現場に向かった。久しぶりの一人旅で、偶然読んだ本でこの先どう活動すべきかの答えが書いてある気がして、霧が晴れたようだった。もちろん内見もいい感じだったし、一番協力してくれた父の兄家族ともうまくいった。

あとは1番重要なこと。父が了承するかだった。が、話してみると父は、少し考えて、いいよ。と軽く答えた。いつも東京に住んでいることをステイタスにしているような口ぶりだったのでもっと揉めると思ったが、少し寂しそうにしただけで、意外とすんなりだった。



そして転がり落ちるように月日が流れ、仕事が突然忙しくなったり、両家に結婚をする旨を伝え自分の引越し、父の引越しと、役所手続き、ケアマネージャーや、各所の連絡。全てが同じタイミングで、あっという間だった。

2013 11/24
父とおそらく最後になろう引越しドライブの予定。


その前日は、父を連れ回して、最後の休日を楽しんだ。

17時に外でご飯を食べるために14時には出た。
父の歩くスピードを考えると、たとえ15分で行ける場所でも、早く出たほうがいい。
午前中は引越しの準備。今回はシーツ布団カバーを洗えという言いつけを守ってくれた。前日から食事に行こうと誘っていたので上機嫌なのか?

3つの予定を企画した。食事と、携帯の機種変更、六義園の散歩。

携帯は、使いやすい方がいいよといって、簡単ケータイに変更した。
体を掴んで話しかけてくる父をみて、本当に嬉しいんだなぁと、かわいいさと同時にすこし寂しさを感じた。
携帯には1.2.3という短縮ボタンがついていて、「これ便利だね」と説明すると、「じゃあ、1は伸太郎。2は兄貴。3は新しいところ」と、願ったり叶ったりじゃないかと言わんばかりに、また嬉しそうにしていた。てっきりこんなじいさんみたいな携帯持つのかなんて言われたらどう言いくるめようなど考えていたので、また少し自分が嫌いになった。

それからゆっくりと歩き、六義園に到着した。午後4時だった。
昨日テレビで紹介されていたせいで、大行列が出来ていた。これじゃ父が疲れてしまう。途中寄ったコンビニで父のトイレのついでに買った缶コーヒーを園内で飲んで休もうと言ったばかりなのに。とりあえず並ぶわけにもいかないのですぐそこにあったドトールへ入った。
「昔は160円だったけど今はいくらだ?」「それいつの事?」父と出かけた記憶が曖昧だとこんな会話になる。
「疲れた?」などひとしきりぼんやり聞いていたが、隣に父と同じくらいの年齢の男が気になった。
女性の悩みも説教で返し、自分のビジネス論で自己顕示している。かたや、会話もおぼつかない。よくしゃべる男根と父を比べてしまっていた。悩ましいところだなと思ったっていた。が、比較をする自分にやっぱり、がっかりした。
茶店で父は携帯を気に入っていたようだったので、「ここを押してみて」と言って写真を撮ってもらい自分の顔を「1」にいれた。

結局行列が切れないので、外にあった園内MAPを2人で眺めて「広いねここ。入ったら帰って来れなかったね。」「おれは景色には興味がない」「帰ってこれなそうだし遭難するようなもんだ。」そんなことを言いながら、再び45分歩き900メートル先のとんかつ屋に向かった。

父と数少ない記憶の中で行った記憶がある一つは、とんかつ屋だ。その記憶が残っていたため、今度は自分が連れいくという事で恩返しになればいいな。たすきを渡す儀式のような気持ちだった。
カウンター席の高い丸椅子に父は座れなかったので、背もたれ付きの椅子に変えてもらう、半身不随は一体どんな感覚なんだろうと思った。箸も持てないのでフォークをもらうとかわいい絵が書いてある子供用のフォークが出てきた。それを見た親方が、バカ野郎、大きいフォークにしろよと、小声で言っていたが怒鳴っているので聞こえていた。粋がわかる親方だなと思ったが少し気まずかったので、「お茶がおいしいよ」なんて言いつつ紛らわした。すぐに大きいフォークが出てきた。

ここのとんかつは普通に切ってある上に更に半分に切ってあって一口大に切られている。これなら父もちょうどいいなと思っていたが、父はうまく食べられず、咳き込んでしまい吹きこぼしてしまった。隣の人が隠すように背けて食べ始めた。この時、口を拭いてやったり、手をきれいにしたが、一瞬「なにやってんの!きたない。無理に詰めなくていいから!そういうのやめて!」とも思って口に出そうとしたが、それを言うことは世間体の世界で、見栄とプライドの世界で、自分と父の世界ではないということに気づき、それを言うのは間違ってんだなと隣の背けた人を見て思った。
父にかけた言葉は「大丈夫?」だった。介護ってサイコパスに似てて、少し世間から意識を離さないとできないんだなと、ぼんやり気づいたりした。


うまいなといいながら父はトンカツを食べていたが、あれでも大きかったようだ。口が上手く開かない。コメが口に入らないとしきりに言っていた。確かに一緒に食べたいよな。咳き込む心境というのが改めてわかった。

帰りにスーパーで父に酒を買った。いつもは絶対買わないが今日で最後だし2本買った。

足が痛いから歩きたくない。というのでまた、タクシーに乗る。歩くと45分。タクシーだと2分。


帰宅して着替え、なんかとても疲れたな。。。とぼやいていると、「今日は楽しかったなぁ」、と言われた。魔法みたいに疲れが少し抜けた。
携帯も変わって良かった。と言っていた。体がこうなってから、以前のケータイの使い方を忘れてしまったらしい。
そういえば機種変更の際、以前の電話のロック番号を教えてくださいという時、父はすっかり覚えていないようで、「初期番号じゃないですか?」「いえどうやら違うようです。」しばらくして、自分が心当たりある番号を告げると解除された。
その番号は、僕の母で、父の別れた妻の誕生日だった。あっさり当ててしまったことで同じ男として強烈に寂しい気持ちになった。。。
父はまだ結婚指輪を外していない。

人生で2度目の乾杯(1度目は倒れる寸前)で、たわいもない話をしていた。
会社を辞める話、やっぱり続けろよって思って話していたが、人には色々種類がいるんだ。これをリタイヤだということで片付けたんだとしたら自分の今までを否定することになる。せっかく培ってきた広い価値観はなんだ。と気づき、すぐ父のこれからの生き方を肯定した。
他には妹の話、2年間で初めて聞いてきたな。疎遠で何も答えられなくて申し訳なかったな。。興味あるよなそりゃ。自分の娘。

言いそびれる前に「色々あったけど30年間こうしてこれたのもお父さんのおかげだよ。ありがとう。」と言った。
すると「これは俺のおかげじゃない、お前の力だ。」と返してきた。
「でもね。おとうさんがいなかったら今がないんだよ。」返したとき、頭のなかで昔の記憶が駆け巡ってきた。
「だから唯一の悔いはお父さんと離れる決断をしたことなんだよ。」思いの丈はここでぶつけねば悔いが残ると思った。今までも悔いを残さないために一緒にいた。

父は、「お前はこれからがあるんだ。だからもうおれのそばにいなくていいんだ。お前には未来がある。これからは本当に大変だ。お前は結婚する。仕事もする。子供も生まれる。それからが大変だ。子育ては本当に難しい。特に大きくなってからは、理性が伴う。子供じゃないんだもう。それは俺の知っているタイプの人間じゃなくなって。何を考えてるかもわからない。。。」

ぼんやり父とコミュニケーションがうまくとれなくなっていた昔を思い出した。

「俺はこれからもおまえのことを少しだけどサポート出来ると思う。だけどな、お前はおれをあてにするなよ。おれから離れていいんだからな。俺のことはもういい。2年間本当にありがとう。」

そのとき父の目が赤くなっているのを見て、自分も大変だった。

「これ飲んでもう寝るよ。」

「持つよ。」
父の部屋まで酒を運んだところで、終わり。部屋に入ったら会話はしない。約束はしていないがなんとなく決まってる。

思うことは、
今日みたいなことをもっと頻繁にすればよかったなぁとか。
一緒に出かければ良かったなぁとか。
一緒にご飯を食べれば良かったなぁとか。
もっと話をすればよかったなぁとか。
うんと戻ってやり直したいとか。

父ともう少し話したかったな。どうして、こんな簡単な事ができなかったんだろ。
結局後悔って、残るものだ。
こうやってみんな何か残して先に進むんだなと、ぼんやり考えていた。

恥ずかしさをとっぱらって明日は出発前に抱きつかないと悔いが残るな。。。

なんか、遺言を聞いたようだ。

こんな時はレコードでしょ。と目に入ったのがこれ、「素顔のままで」ってスピリだしそう。